
Company History
沿革
日本香料薬品株式会社のルーツは、1917年(大正6年)には三井物産を超えて日本一の年商を誇った幻の総合商社である「鈴木商店」にあります。
鈴木商店は、躍進の原動力となったクスノキを原料とする台湾産樟脳油の再製を事業化し、1919年(大正8年)、当社の前身「再製樟脳株式会社(現在の日本テルペン化学株式会社)」を設立しました。
1927年(昭和2年)、樟脳副産油より香料等を合成する事業は再製樟脳から分社化して設立された当社に引き継がれることになりました。
創業以来継承してきた植物精油のノウハウを生かし、次代への飛躍を図るためチャレンジを続けております。

本社敷地内のクスノキの大木と稲荷神社
日本香料薬品株式会社の歩み

小野禎一郎、鈴木商店筒井製脳所の責任者となる

鈴木商店の主導のもとに再製樟脳株式会社(現在の日本テルペン化学株式会社)設立
小野禎一郎、常務に就任

小野嘉七、再製樟脳株式会社入社
国内海外の大学とも技術交流を行いながら、数多くの特許を取得
再製樟脳の香料部門としての事業を確立させる

小野禎一郎、再製樟脳株式会社社長に就任
(1932年まで務める)

4月2日 鈴木商店倒産
直後の4月9日に樟脳副産油処理の新工場建設許可が専売局よりおりる
関係者協議の結果、樟脳副産油処理による香料等製造は分社化して行うこととなる
6月7日 日本香料薬品株式会社設立
資本金100万円 代表取締役 小野嘉七


現在の本社敷地内に本社・工場・研究室が完成する

当時の工場の様子


本山工場が操業開始する

東京営業所を開設
(1943年 東京事務所に、1969年 東京支店に改称)

大阪営業所を開設

台北工場を操業開始
(1945年に中華民国が接収)

日本有機化工株式会社に商号変更
戦時中は香料の製造を中止していたことによるもので、戦時中は軍の要請を受けて、浮遊選鉱剤を製造していた

神戸大空襲 本社工場、本山工場が罹災
本社工場に集約して再建
終戦に伴い香料製造再開、商号を日本香料薬品株式会社に戻す

食品香料の取扱いをはじめる

福岡営業所を開設

資本金500万円


樟脳専売廃止。工業薬品(合成香料・浮遊選鉱剤等)の原料はテレピン油に切り替える
樟脳の主な需要はセルロイドだったが、戦後石油製品におきかわり樟脳の需要も急減したため

資本金1億円


工場・研究所の全面的建替が竣工。

代表取締役社長に小野一夫の長男 小野昭夫が就任

小野昭夫

資本金2億4000万円

阪神淡路大震災
1992年の建替が幸いして被害は軽微にとどまる
しかしながら、全壊した周囲の工場は当地で再建されることなく、「HAT神戸」として土地利用転換が進む
当社も地域との共存を図り、都心の工場として周囲の環境に配慮している


ISO9001取得


ホームページ開設


システムを更新
デジタル技術を活用して省力化とミスの大幅な軽減が実現する


無菌充填対応の乳製造設備新設
